7. 「炎のある暮らし」 暖炉設計士 大立目勇次

 
サイトディレクター mach
 
 ぼくが郷愁を誘われるもの、それは森繁久弥主演のミュージカル「屋根の上のヴァオリン弾き」、夕方5時に家の周辺で鳴り響いている「新世界」。遠き山に日が落ちて...っていう曲。それとキャンプファーヤーの「炎」などである。どれも寂しさと温かさがあり、それが郷愁を呼び起こしているよう。
 ここではそのうちのキャンプファイヤーについて話します。大学生のとき遊びに行った学園祭と小中学校時代の課外授業でのこと。

 学園祭は昭和58年の秋。女の子たちと、その年の夏、クラブの合宿先へ行く電車の中で知り合った。その子らは仙台にある宮城県立保母専門学院の学生。合宿先は気仙沼からさらに船に乗って行った大島。そこで合流することになったわけで、みんな年下にもかかわらず、「自分」というものをしっかりもった不思議な魅力のある子たちだなと、とても好感がもてた。その印象がずっと頭に残っていたためか、結局その秋、いそいそと学園祭に遊びに行ってしまった。最終日の夕暮れどき生徒の団結を深める伝承儀式があって、それは小さな校庭に古代ギリシア人のような白い布をまとった4人の女生徒が素足で登場するところから始まる。たいまつをもった子らは四方に分かれ、人の高さほどに組まれた薪(丸太)を囲み、ゆっくりと近づいて点火。その後、周りの生徒たちが来訪者を交えて周囲を回りながら踊るんです。
 「ハイサカズンバー、ズンバー、ズンバー、ハイサカズンバー、ズンバー、ズンバー、エンヤラヤー、エンヤラヤー、オーー、ソーレッ!」
と全員で声を掛け合いながら交互の足でケンケンし、両足を揃えての数ステップを交えてひと区切り。それを延々と100回続けるんです。100回っていうのはかなりきついもので、途中、励まし合いながらなんとか終演を迎える。終わった後は何とも言えない充実感があり、知らない女の子から「お疲れさまでした!」と元気な声で挨拶もされ、妙に心地よかった。踊り始めておよそ30分、辺りはもう真っ暗。「炎」のせいだろうか、みんな仲間になったような、そんな気がした。校庭付近から帰り道までを生徒らのろうそくの灯りで導いてくれた。翌年、さらに社会人になってからも何回か行ってみたが、そこには変わらない感動があった。
 その子たちが育っている環境のなかに「炎」があったのです。

 そしてもう一方の体験、昭和50年頃の夏、小学六年生それに中学一年生のときの課外授業でのこと。あのときのキャンプファイヤーもよかったなあ。
 そこは衣川村にある大森キャンプ場。最近久しぶりに足を運んでみた。24、5年ぶりかな。ナラやクヌギなどの木々から時折日射しがこぼれ、澄んだ空気で辺り一体が覆われていた。その空気のなかに薪を炊いた形跡も感じ、その匂いや様子で昔の記憶が蘇ってきた。虹鱒を養殖している川には、当時小さな滝があり、同級生の何人かがびしょ濡れになりながら滑って遊んでいた。そこを横目に見ながら、さっきから気になっていた薪を炊いた匂いを追い求めるように炊事場へと向かって行った。そこには昔と変わらない薪を焚いた匂いがするかまど、野菜や食器を洗った水道の蛇口、そこにかかっている古ぼけた屋根など、昔のできごとがほんの少し前のことのように思い出させてくれた。暑くって苦しくも楽しかったオリエンテーリング、作ることも好きで食べても美味しかったカレーライス、そしてキャンプファイヤーを囲んだフォークダンスなど。その日あったことを思い起こしながら炎を囲んで過ごしたということだろうか、先生たちも、みんな炎を見ながら一体感に浸っていた。

 どちらも炎が心に残っている。

 そう、普段の生活に炎を取り入れればいい。薪を使ったかまどでの調理、オリジナルの囲炉裏や暖炉、炎を楽しめる薪ストーブもいい。
 大立目勇次さんは、暖炉設計士((株)岩手暖炉の代表取締役)。ここで紹介するお話しは、大立目さんが暖炉、薪ストーブの仕事をするきっかけとなったノルウェーへの視察旅行のことなど。数年前に一度聞かせて頂いて、北欧の人たちの暮らしの中には普通に「火」があって、すごく穏やかに暮らしている様子が印象に残っていた。

 人々に落ち着きや一体感、本当の温かさを与えてくれる「炎のある暮らし」を、あらためて見直す時が来たのかもしれない。

(ここに掲載している一部の写真は、暖炉メーカー「Handol」「JOTUL」「VERMONT CASTINGS」のカタログからのもので、これらの製品を取り扱っている大立目勇次さんの了解を得て使用しております)


(C) Masanori Watanabe All rights reserved.

暖炉設計士 大立目勇次 Yuji Ootachime

(この取材は'99年4月、ちょうど桜の咲いている頃、一関市の磐井川沿いにある大立目さんの自宅兼事務所の一室で、愛用の薪ストーブが入口のドアから入り込む柔らかな光りを浴び、しずかにジャズが流れるなかで行われた。)

 この仕事を始めて15年。始めた時と今とでは意識がちょっとちがうんだけど、当時、暖炉、薪ストーブは洋風なもので輸入住宅といっしょに入ってきた。ペンションとか別荘から広まって、われわれの業界自体がそこから始まった。ペンションっていうのは洋風の民宿ですよね(笑い)。ペンションブームってあったんだけど、時代がそうだったんだね。リゾートマンションができて、ペンションができて、われわれの仕事もそれといっしょに入ってきた仕事で、むしろ形から入ってきた。洋風の建物だから暖炉がなくちゃいけないんじゃないかって。ペンションなどはドイツの家も、イギリスの家も暖炉があるから暖炉がなくちゃいけないとかね。

 でも15年経って考えてみると日本には囲炉裏があったし炉端があるんだよね。

 この仕事をすることになったきっかけがデンマークのメーカー「アンデルセン」。そうしているうちに「ヨツール」とか「モルソー」とか「ハンドール」とかっていうヨーロッパのメーカーを取り扱うことになってきて、じゃあ、ヨーロッパって、北欧ってどういうところなんだろうって。行ったことがないんでね。ただ勝手に自分が想像していただけ。たまたま、そのうちのひとつのメーカーにノルウェーに行くから一緒に行かないかって誘われた。それまでは「北欧のものだからいいものですよ」って話ししていたけど、その北欧を自分が知らないからね。とにかく、まっ、行ってみようって。これが15年位前。それがこの仕事を始めることになった大きなきっかけ。

 向こうに行って何を思ったかっていうと「普通に人は暮らしているんだなあ」って。当時日本は高度成長の中を進んできた中で、まだバブルの前ではあったんだけど結局はずっと右方上がりで、工業生産にしてもいろんな商売にしても伸びてきていた時代だった。そのころのわれわれの生活には落ち着きがなかった。いつも新しいものとかもっといいもの、もっといいものって。
 たまたま最初に行った国がノルウェーということもあって、人が穏やかに暮らしていた。普通に暮らしている。自分のそれまでの基準ていうのは日本しかないのね。ヨーロッパとかアメリカとかはテレビ、映画での世界。それは、あくまでも本の写真をペラペラめくったような感覚ですからね。これはノルウェーだけじゃないんだけど、行ってみると匂いとか風とか明るさってのが違って、これはすごく印象にあります。アメリカに行ったときは色が違う、色が。ヨーロッパとアメリカももちろん違うし、どちらかというと日本の色はヨーロッパに近いんだね。陽の明るさとか周りの木とか山とかいろんなものがね。これだけは行って見なければわかんないからね。
 そして、たまたま向こうの人が選んだコースが非常にローカルな所ばっかりで、ノルウェー自体も大きな国じゃないんだけど、オスロっていうのは非常に静かな町で、そっからさらにどんどん地方に入って行って、オルセンていう田舎のずっと北の漁港からスタートして、ノルウェーでいえばちょうど馬の鼻づらの所。その辺りはずっと氷河地帯。3日間バスで走って、山の上んとこくらいに「ポッ」とレストランがあって、そこで昼食をとって、またその日氷河地帯を登ったり降りたりしているの。

 こんなところにって思うところにホテルが「ポッ」てあってね、木造のログハウス風の。今まで岩手っていう田舎に住んでいながら自分が体験できなかったぐらい、なんて言っていいのか、穏やかっていうか、退屈に近いくらいのね体験。3日間信号機ひとつもなかった。
 小さな町に着いて、町のホテルに泊まって、まだ向こうについて3日目4日目だから時差があって、朝とんでもなく早く目が覚めるんだけど、目が覚めても行くところがないんで、パン屋さん、近くにパン屋さんがあって、朝早くから仕事やってて、パンが焼けるいい匂いがした。たぶんこれはわれわれ小さいときのお豆腐屋さんが朝早くお豆腐作って、油揚げあげて、そういう普通の生活。近くの人もパンを買いに来てたね。
 ノルウェー行って思ったのが日本っていうのは特殊な国で、大方の国はこうやって穏やかに暮らしているんだなあって、一週間行って帰ってきてそれを一番思った。その後、飛行機乗ってドイツとフランスに行ったんだけど、でもやっぱり穏やかだったね。ドイツに行ってもローレライだとか日本人がよく行く観光地へ行ってもすごく普通の田舎生活があって、道路もガーンって広い道路があるわけじゃなくって、昔ながらの石畳の道路があって、普通に生活していた。初めて海外を見て、日本って変わっている国だって思った。それを自覚できたっていうか、自分がスタンダードだと思っていた日本がたぶん世界的に見るととんでもなく変わった国。歴史、伝統があるのにたった50年くらいでこんなに変わっちゃって。ノルウェーの最初行ったオルセンって町で、次の朝10年ぶりくらいに日本人が来たって新聞に載っちゃって、われわれが来たってことが新聞に(笑い)。そこはたまに漁業関係者しか来ないらしくって。ただ日本人ってのは、たまにしか来ない遠い存在なのにソニー、ナショナル、ホンダ、トヨタ、キャノン、何でもあるのね、日本のものが。まっ、向こうからいえばこっちが地の果てでこっちからいえばノルウェーなんてとんでもない所にあると思うんだけど。
 日本、日本人っていうのは向こうの人にとって遠い存在なんだけど、日本製品っていうのは身近な存在でね、とても不思議な感じしましたねえ。

 それで日本に帰ってきて、今まで自分でそんなに気にしていなかった日本の町並みだとかペンションだとか観光地のレストランだとか、なんかすごく繁雑で、落ち着きがなくって、店舗にしてもホテルにしても何年もずっとやってきた積み重ねではなくって、たぶん10年とか20年くらいのサイクルでどんどん作ったように感じた。日本の戦後50年っていうのは工業生産がそれだけ伸びてきたんだけど、人のくらし方とか考え方が落ち着きがない、なくなってきた。たまたまその後、那須に仕事で行くことがあって、那須高原の途中にレストランがあって、メキシコレストランがあって隣に日本のそば屋さんがあって、その向こう側に南仏風の建物があって、こんな国どっかあるのかなって。それも一つのテーマパークじゃなくってね、栃木の田舎の場所なんだけど、そんなことしているのも日本人だけじゃないかなって。それが海外のものを取り入れる日本人の節操なさなんだよね。いい言葉でいうと柔軟性がある。
 ただ、たぶんヨーロッパ行った人たちは思うんだろうけど、向こうの「普通の町並み」、「普通の道路」がきれいなのね。もともと最初に作った人が、長期的にちゃんとした考え方でつくられた町だからきれいなんだと思う。「普通のものがしっかりしている」っていうのが一番ヨーロッパに行って感じたことだったね。
 自分の暖炉の仕事に対して、なんていうんだろう、前はペンションとか別荘がいっぱい建って、それに対して景気がいいから売れるっていう、売れていくだろうって。特に岩手の場合は当時、安比だ雫石だって開発が続いていたからねえ。それは、ある方向はそうなって行くだろうけど、でも違うなってね。それも後から自分でわかったことなんだけど、あっ、自分が売っているものは暖炉。それは「囲炉裏」であり「炉端」であり、みんなの生活の中心で、すごくオーソドックスって思った。そんなときこの仕事していて、この仕事は人の生活の中心になるもので、流行とかそういうものじゃなく、自分が仕事で長年やっていながら、やっぱり家に帰ってきてストーブに火をいれると気持ちがほっとする。冬、友達とここで飲み会やるときもストーブに火いれて飲んでいると楽しいしね。まっ、飽きないで仕事をやれていられるのもそれがあったからですかね。
(自然な感じの間があり、バックのジャスボーカルの歌声がしばし耳にはいってくる)

 少し景気が悪くなってきて、その中で何が自分にとって大事かとか、何が必要で何が必要でないのかっていうことが少しずつ変わってきているから、それに関しては落ち着きがでてきて良かったと思う。人の気持ちが落ち着くとこういうものを囲んで生活するってことが普通になってきたりしてね。旅館や民宿などでも囲炉裏のあるところが見直されてきている。
 ヨーロッパの人でも日本の人でも、「人」がいて「火」があって、それは照明でもあり煮炊きの道具でもあり暖房でもありっていう一番原始的な道具だからねえ。
 まっ、たまたま今、道具としていい薪ストーブはヨーロッパのものとかアメリカのものしかないから商品としてそういうものを扱っているけど、本当は岩手オリジナルとか自社のオリジナルとかが作れればいいね。あと家庭ごとに、うちはこういうの作ってほしいからって頼まれればなお嬉しい。だんだんとそうなっていくと思うんだけどね。つくづくそう思う。
 今、やきとり屋さんでも居酒屋さんでも炭火でやってないとお客さんが来ない。それは、ガスの方が便利だったはずなんだけど、電気の方が便利だったはずなんだけど、やっぱり本当に美味しいのはどっちかっていうと炭でやった方が美味しい。あとは居酒屋さんに来る世代が炭火に対する郷愁もあるだろうしね。だから炭火が古いものだからだめで、ガスがいいものじゃなかったんだよね。とりあえずは営業として早く効率よく仕事をやるためにガスの方が早かったんだけど。本当はどっちが美味しいの、どっちがお客さん喜っでくれるのってことでいくと炭火。
 いろんな道具がでてきてて、床暖房とかパネルヒーターとかいろんな空調があるんだけど、薪を焚いて火を見ながら暖まるっていう心地よさに代わるものは無い。楽しさっていう点では、ほかのものは一切無いしね。好きだからやっているんだけど、自分みたいに毎日こんなことやってて、ここに帰ってきてこれに火をつけてじっと見ているんだけど、単純な楽しさっていうんじゃなくって、たまには割とセンチメンタルになって、ボーっとしてることもあるんだけどね。でもみんながそうして暮らしてきたと思う。
 アウトドアのキャンプをみても、何してるのかと思うと、結局は外でバーベキューして焚き火して(笑い)。あれだけいろんな道具買いこんで、やっていることっていったら炭火でもの焼いて、夜、火を焚いて。人のやっていることは昔からあるようなことやってる。
 何につけても、人がほっとすることとかいいなあと思うことっていうのは、どっか近いところにあるもんだよねえ。陶芸にしてもそうだし、パッチワーク、木工などもそう。テーブルにしてもスチール製が簡単なんだけど、やっぱり触ったり、見たりしてほっとするものとなると木製になる。住宅もそう。ここに子供たちのいたずら書きや傷が残っている。キズではあるんだけども決していやなものじゃなくって、子供たちがちっちゃいとき書いたもの。これは、我が家の我が家にしかないもの。昔からある住宅は歳月と共に風合いっていうか雰囲気がでてくる。歴史の浅い工業製品は汚れていくだけ。その違いは、頭で考えてつくったものと長年引き継がれてきたものとの違いがあるのかもしれない。

 この前、オーストリアから日本に家具を輸入しているオーストリアの方とお会いして話しを伺った。この方が家具の輸入を始める当時、日本は高度成長期で、パイプ椅子とかスチールデスクがはばをきかせていた。日本にも本来いい家具があるんだろうけど、そういうものを世の中の勢いが押し流していたような状態だった。

 その家具は何がいいかっていうと長く使え人にも優しい。材料が特別高いものではなく一枚板ではない集成材ではあるんだけど丁寧に木を使い、天然の木油や蜜ろうなどを使って人間が触っても舐めても大丈夫なものを作っている。特に食器棚とかキッチンに使う家具を輸入して、少しずつ良さが浸透してきている。
 でも日本にもあるんだよね、自然素材で作られている家具が。どっから代わったかというと、工業製品っていうものがすごく発展してきて、何かすべてのもの、工業だけじゃなくて農業、水産業、世の中のものすべてが工業化されてきたというか、早くて簡単なものが普及してしまった。確かに便利かもしれないけど、よくよく考えて見ると何ひとつ体にいいものはなくて、便利だとか、手入れが簡単だとか。今となっては、ホルマリンなどの体に悪い物質でアレルギーを起こしたりする。それを治すにはどうしたらいいのかたどっていくと、割と答えは簡単。われわれが工業製品を使う前には、ごく普通の家具を使っていて、それを私の場合は外国の方に教わった。
 こういう暖炉、薪ストーブにしてもそうだし、家具にしてもそう。欧米の人は、いいものはずっと継続して使っている。日本の場合、それよりも安いですよとかそれよりも建てつけが簡単ですよとかに大半が飛びついて、個人の生活感ではなくて大手企業とか大手メーカーの考え方の方が先行してきてしまったのかもしれませんね。そのオーストリアの人と話しをしててね、いちいち納得してしまう。でも考えてみると全部当り前のことなんだよね。
 そのメーカーのベットは一切金属を使わない。それは金属の磁場が寝ているときには、決していいもんじゃないから。できれば寝ている時間にそういうものは体の近くにないほうがいい。スプリングも木でできていてボルト、ナットも使わず組み合わせで作られている。そこまで徹底してやっている。われわれの生活の中で少し前まで金属ってものはある意味で新しい素材でモダンなものだった。畳に寝て普通の布団をかけて寝てたんだからどこにも金属はなかった。あったとしても箪笥の取っ手とか飾りとか。
 ちょうど自分たちが高校生くらいに部屋中がスチールになって、今でもあるけどスチールパイプでできたベットがあって、そしてスチールの机があって。でもヨーロッパの人たちはそれをしなかった。昔からの生活の仕方っていうのは、いいものはそのままずっと続けていく。日本の場合は、誰かがこっちの方がずっと簡単だよとか、こっちが楽だよとか、いい悪いではなく、もう商売なってくる。大手がやったことは全部いいことという流れでみんながそっちになびいてしまう。それはここ何十年も続いてきた。建築でいうと大手のメーカーがやったことで、つい最近低ホルマリンとかいろいろ言っているんだけども、10年前そんなこと言ってなかった。言わなかったってことは、みんなそれを使ってたってことだよね。本来木造で地元の大工さん、工務店さんが普通に在来構法で、木の梁を使って、木の建具、無垢の板で家をつくれば、体に悪いものはほとんど無い。それを工業製品をボンドでピタッととめてしまうっていう、見栄えのいいものをつくるときにいろんな有害なものがでてきた。それに対してわれわれ個人の消費者はいいか悪いか判断できなかった。シックハウス症候群っていうのも最近の家から。昔の家ではなかったことなんだよね。
 教育を例にとると、何がいいのか、どういうものが危険なものなのか、それは住宅の環境であっても食べ物であってもそれを教えてこなかった。教えてこないっていうよりも、それ以上に数学を覚えて、早く会社にでて、いろいろなものを作って、国の経済を伸ばさなきゃっていう事情もあったのかもしれない。でもこれは教育だと思う。それは、昔は全部引き継がれてきたもので、われわれの世代、戦後50年の高度成長の中に生きてきた人たちにとっては継続するものが無くなっちゃったのね。前のものは全部だめって切ってしまって、新しいものは全部いいもんだって。価値観が、変な価値観ができてしまって。

 なんか難しい話しなっちゃったね(笑い)。

 ただ、要約すれば、普通の暮らし、普通のものを使っていればいい。日本の場合はなにか流行があるんだよね。それは人が求めたものじゃなくって、大手メーカーであるとか業界とか、10年もするとゴロッと素材が変わるっていうのは、他の国にはたぶんないと思う。

 日本で暮らしていれば森林資源が豊かだから木材で家を作るってことは当り前のこと。
 イギリスに行くとロンドンとかは全部煉瓦の建物で、なぜ煉瓦かっていうと周りの山に木が無い。昔、放牧などするために山に木がなくって、それで土を焼いてつくった煉瓦で建物を作っている。地震がないし湿気も少ない。冬は適度に湿気があって夏は乾燥しているっていう気候からああいう建物ができたと思う。ずっと北のエジンバラへ行くと山はあるんだけど岩山だらけで、石を切り出してきて石で建物を建てている。それでも自分たちの地域にあるものを使うという利にかなったことをやっている。だったら日本はどうなんだろうって考えるとこれだけ豊かな森林資源があって、そして高温多湿で、地震があるというと、地元で採れた木材で家を建てることがいいのかなって思います。
 ただ残念なことにわれわれが作っている家はほとんどが外材。日本の木材がだめなんではなくって、日本の材料よりも安く大量に仕入れられるっていう商社の考え方で材料が入ってきていると思うんです。
 日本っていう国はノルウェーの田舎の町にまで工業製品が行っているくらい海外にいろんなものを作って売って自国の生産、自国の消費だけですまない国だからいちがいにどうこうって言えないけど、でももうちょっと自分たちが住んでいる環境とか、自分たちのところには何があって何がないのか、自分たちの国はこれがいいんだよって、自分たちが住んでいる地元の見直しっていうのが当然あっていいはずなんだけどね。各市町村でグリーンツーリズムをやっているけど、ああいうことが流行るってことがなんか不思議だなあって。地元の人が自分たちの生活を楽しんで、自分たちの地域の文化に誇りをもって暮らしていれば、当然旅行する人たちが、あそこいい所なんで行ってみたいなあと自然に思うだろうしね。今までやってきた町おこしとか村おこしっていうのはあまりにも経済的な意味で中央にこびているっていうか、経済の問題だから量的にものを売るための行為というのはわかる。ただ主役は誰かっていうと地元で暮らしている人たちだからね。その人たちが地元で暮らしやすい町だって思えるようにしないと町おこしなんて長続きしないよね。
 いま、釣がブームでね、友人なんかみんなやってるんだけど、ただ魚釣っているんじゃなくって、川んなかに入って川の流れの中でせせらぎを聞いて、川の流れを聞いて、あれでたぶん人の気持ちが安定しているんじゃあないかなって思うんです。楽しみでもあり、それが人の気持ちを落ち着かせるものがあるような気がします。最近流行っているものってそういうものが多い。
 アニメ、子供のアニメってあんまり見ないんだけど、「となりのトトロ」、あれがとっても好きでね。あの時代の生活感が割と近い世代っていうか、ああいう生活ってあったから、めだかがいるような小川とかね。
 薪ストーブを焚いて、暖炉を焚いて、焚き火でもして、火を焚いて、その前でゆっくりと過ごす時間。これが普通、こうゆう風な感じでいいなって。
 「火」は人に気持ちの落ち着きを与えてくれるとと思います。

連絡先:株式会社 岩手暖炉
〒020-0122
岩手県盛岡市みたけ4-22-21
Tel/Fax 019-641-4288/019-641-8536
    

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