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それもこれも、こんなとてつもないことに取り組んだ平成4年からの一ノ倉邸へ命をかけて来たなんて軽く言っていたけど、今やっと周囲が見えはじめているの。今まで無我夢中で、そういうことに目を向けている暇がなかったのも実際あるし、毎日追われてますし、だけどこの頃は同じ追われるのにしても、「よおー、ここの窓から見ると、こう見えるんだったんだわ」とかね、「じゃあ、ここの縁側の下を座って覗いたらいったいどうなっているんだろう」とかね。そういうところまで好奇心がわく、あるいは目がとどくようになったっていうのは、ほんの少し心にゆとりができたかもしれない。
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私の目の輝きっていうのは、ほんと言われる、どこ行っても。体やすごい顔も疲れているけど、異常だって言われる(笑い)。これって、ん、出た先で、何か発見があるんではないかとか、その人から何かいいことばを聞けるんでないかとかね、いっつも思っているのね。
今の、あのー、何か夢を語るとかっていう本を見たんですけど、立派な人たちが対談してるんだけど、自分たちの子供の頃はこうだった、今の子供たちはこうだとかね、比較論ばっかし言っているのね。私そうじゃなくて、大人、子育てを終わった、ね、私らみたいにもう次の次の世代なんですよ孫っていうのは。子供を育てる時は必死ですよね、自分の。その子供たちの子供たちが、結局もう2つ世代が代わった子供たちが、夢を持てないような与えることができないようなことをしていることを、私たち早く気付いてあげて、一人の人が何人をひろいあげてあげられるかわかんないけど、泥沼であえいでいる若い人たちがいっぱいいるわけですよ。その人たちになんとかね、自分ができる分野って各自あるんだよね。そういうところで声かけてあげたり、手をとって差し伸べてあげて、その手に触れてきた若い人たちは「ピッ」てつかんで、こう引き上げたいものだなあって、毎日思っているのね。
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で、ここの一ノ倉邸には、最初はなんだか脱色した頭でね、爪は10本全部違う色のマニキュアをしたような、それが高校生、中学生って聞いた時にはほんと腰がぬけるくらいびっくりしちゃったけど、それが、その子供たちが変わるのね。
まず、座ってお辞儀をするようになることが一つね。「おおいいぞ」って私は思うし、その次がなんだかとっても短いスカートはいて、ルーズソックスだか履いて、「あのー、靴からソックスがはみ出して、これって自分で洗うの」とかっていっつも言うのね。私そういう子供に「いいえ」なんて平気でいう子には、「せめて自分で汚したものは手で洗ってみたら」とか言っているんだけど。そういうような子たちが変わっていくのね。会うたんびにね。私ではなくて、この明治の館、文化っていうものが、知らず知らずのうちにその子供たちの自分に何か入っているんだと思うの、たぶん。
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そして、プラス私たちとの会話、「私は頑固で勝ち気でへそ曲がりで」とかいう話しをして、「皆と同じことをしていると安心かもしれないけど、それって、自分らしい生き方ではないよねえ」とかね、そういうようなことをさりげなく話すと、もうのめりこんでくるから。で、来たら、ガラス一枚拭いて手伝ってもらって、もう仲間でしょ。ん、そういう風なこととか、お昼になった時に、「私たち今日インスタントラーメンだけどいいんだ、いいんだ食べてきな」とか言って食べさせて、一緒に食べたら、「同じ釜の飯を食べた仲間は絆が深い」とかね、はめ込んでいくわけ。それが楽しいらしいんだよね。そういう人が、もっともっともっともっと増えないと、なんぼ立派なこと唱えてもねえ、救えないよ。
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まず、お母さんたち救ってやらなきゃいけない。なーんてことないこと。ここでPTAのお母さんたちと会話するわけだけどね、この間も40人、涙ふくのよ。何なんだかこの・・・忘れかけていたこと、ふっと思い出したとか。親が言ってくれないことを言ってもらったとか、御姑さんと苦しいわけですよ。昔から言われる嫁姑という何ともいえない世界っていうものは、やっぱりあるわけですから。私質問されたのね、「西郷さんのとこどうですか」って。「私があまり忙し過ぎてそういうのないんだよね」って言ったら泣くわけね。「何で泣くのあなた」って。「一日自分は何したらいいんだろう」って思うんだって、おうちのこと。
お母さんっていうのは、私くらいのお母さんなんだっけよ、お姑さん。お互い、あら捜しになって、一つの言葉でもすっごく深く重く心にいやーに響くんだって。「あっ、それはいけないね」って。「遊びに来なさい」って。「あなたは一回来たんだから、お母さんよこしなさい」って。「私と友達になればお母さん変わるよっ」とか言って、実際すっごい変わってねくれた人もいたりして。そしたら、そこの嫁さんが明るいの、表情。
それとここの一ノ倉邸に来てくれている人、自薦で来るわけですよ。今は私からスカウトってないから、若い人はね、みんな自ら進んで入って手伝ってくれるでしょ。来たときの第一印象、暗かったのみんな。すっごいね、淋しげっていったらいいかな。まず、生き生きしてないのね、若いわりに。そして、巻き込まれて訳がわかんないうちに、「こんな大変なお掃除じゃなくて化学雑巾で拭けば楽ですよね」って言った子供たちが、「お掃除も女の人の文化なのよね」って私が一言いって、あえて化学雑巾とかモップとかいうのも聞かないで、ずっと昔ながらのお掃除をしているわけですよ。当り前になってしまってどんどん息つく暇もなく、「はい、お掃除終ったら今度はお客様迎えるための準備だよ」っとか言って、お花も、ここはこうしてああしてっではなくて、「あなたねって、あそこに好きなようにここにあるお花だけでやってみて」って。「これって右向きたいとか下向きたいって言っているよ」って言いながら、口だけで指導するんですよ。手取り足取りが教育って自分は思っていない。まずは自分流に、お花でも、お客様をおもてなしするセッティングでもやってみなさいって。だけどちょっと工夫をして、ちょっと手をくわえて、見方を変えるとこれだけ違うって比較をしながら私は指導してんのね。みるみるうちに3ヵ月もしたらまったく別人になるのよ、若い人って。そして生き生きしてんの。体は疲れてて、「鬼ばばあ」「くそばばあ」って思ってるだろうけど、でもね、それがエネルギーになるの。そうやって鍛えてくれる人が今、いないと思うの。おどおどしながらお願いする方もやってるんだと思うの。「ここあなたやっててね、じゃあやっててね」って、振り向かないのよ。振り向かないことにしているの。振り向くともっと口も出したい、手も出したいってなるから、「じゃあね、やっててね」って言って、自分がさっといなくなって、「どうお、進んでる」っていくわけ。「なんか下向きたいっていっているよ、お花が」とか言って、ちょっとだけアドバイスすると「あっ、そっか」って言って。
教育っていうのは、ほんとに理詰めでなくって、今はゆとりの教育って目にしたり耳にするけど、ゆとりの教育っていうのは指導する側に立つ人が我慢して、ちょっとだけ間をおいて見てあげないといけないと思うのね。私は教育者じゃないからそこら辺はわかんないけど、これは私が体験して自分流に消化した部分なんだけど、こういうやり方ってとってもいいなって思っているのね。
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この間、ノルウェー大使婦人を3日間ご一緒したわけです、うちの若い人たちが。最初ね、右足と右手がいっしょに出る状態だったんです。こっちこっちで。「それじゃ私、お茶お出ししてきます」って言われるわけだから、「ちゃんといつもの通りお辞儀をして、どうぞって言って、ごゆっくりって言っておいでね」ぐらいしか言わないから、離されるわけです。そっから先は見てはいるけど、ずっと離れてみてはいても全責任は、たとえお茶一服だとしても自分の責任でいきますので、もう周囲なんか全然見えないわけですよ。最近はその集中する部分があんまりあっちこっちに目移りしなきゃいけないくらいにぎやかでしょ。すべてが追い付かなきゃいけないから、おいていかれたくないからって、テレビかけながらCD聞いたり、もうほんと私からしたら、これでどれかあなた耳に入ってるって思うの。
そうじゃなくって、「たかがお膳一つ、お盆一つ、ここに全神経を集中するの。3分ぐらいの短い時間の中で、体で覚えるってことは、一生あなたのものよ」って言っているの。
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ですから私の周囲の人が、「あなた度胸あり過ぎる」って言ったのね。「あなたが持っていってくるならわかるけど、度胸があり過ぎる」って。若い人離してやってることを言うんですよ。だから、「私くらいの年代の仲間はもうちょっと違うんだよ。離してやってるってのは自分がお出しする何倍も大変なのよ、これが教育なんだよ」とか言ってね。それが今、かけているんですよ。
なんでも頭から、「こうですああですこうですああです、うちのシステムはこうだああだ、こういうやり方をしている」っていう社員教育とか学校教育で学べないことが、普通は家で教えなきゃいけないことが、今はないわけですよ、なかなかできないんですよ。それを「できない」とか「そういう場がない」ではなくて、ここの一ノ倉邸を使ってそういう人たちと出会ったからには、なんとしても体で覚えてもらえれば口よりもいいのかなって。
「ほんと、私見せたいのよ。最初に私と出会ったときと今のあなたってこうなの」って。見せたいくらい違いますから。そして、体育座りっていうの、炉端で休んでいる子たちが、「いいのよって、まず日本家屋だから日本文化のお辞儀をしようか」って言って、ただ座ってお辞儀することから始まって、「あとはいいんだよ」って言っていると、最初体育座りなのよみんな、それが足がしびれてもなんでも、とっかえおっかえ、膝ををくずしながらでも体育座りをしなくなるってういう変化。そして日が重なってくることによって、まったくもののとらえかたが違ってくる、見方が違ってくるっていうこの変化。
でもねえ、私も捨て身です。
あのー、虚像っていうのをある人から聞いたら、西郷和子の虚像っていうのは、「ツンっとしてね、あなたたちと私は違うのよ」っていう感じと、「見るからにすっごい勝ち気そうで、派手で」だったかな、なんかすごい全然私と違う虚像というのがあるわけで、実像を知ったあるテレビ局の人たちなんか、「ほんとうに西郷さんがお掃除していると思わなかった」なんていうのね。掃除屋ですって言っているんだけど・・・
家のやらなければならないことをやる、これは当り前。で、ここへ来て、一人の人間として私やっていますので、引きずって来てませんので、館坂橋(たてさかばし)を渡って安倍館(あべたて)まで来るっていうのは、安倍道っていって坂道じゃないですか。あそこでいっつも気持ちを入れ替えて登ってくるのね。帰るときは下りでるんるんるんってすごい楽ちんで帰るんだけど、そこで、さあ、家帰るぞって、そこで切り替えするの。
だからその、そこまでを人に語ることはできないのよ。なんか「私ってそういうことをしてるんです」っていうような感じじゃない。言ったことはないけどね。でも実際ね、厳しい自分との戦いなんですよ。この一ノ倉邸を管理保存して、さらに若い人たちを私たちといっしょにチームでここを管理していくわけですから、私と出会ったからには他では学べないことも盗める部分があったら盗んでねって言っているもんですから。いっつも自分と戦っていますよ、私自身。手があいてもいいんです、ここも。今日やりたくなければやらなっくってもいいし、休みたければ休んだっていいわけですよ。でも私がそれをしたら、やっぱり後について来る人たちにそういう影が移ってはいけないっていう責任がありますから、責任の二文字って重たいって思います。
ぎっくり腰で今日は無理って思っても、なんか動き出すと行けそうって思って来れば、「ごめんね、ぎっくり腰なのさ」とか言いながら「お客さんとごゆっくりね」って言って、痛そうな顔をしていると、「まずお大事にね」なんて言われたぐらいにして。家族は、「休んで」って言いますよ。「ここで倒れて何かあったら大変だ」と。もう、6年半以上も命かけて、ほんとに自分の日常みてたから、「これで十分なんだ」って言われるけど、「まだ先はあるのよね」って言ってね。「何人でも、私はやっぱり若い人たちが、なにか普通では得られないものを私から得ることができれば、やがてそれが代々引き継がれる基本的な考え方の中の一部分になって行くような気がするんだ」って言ってね。
でも、息子たちから猛反対受けているんだよ、「もういいかげんにしなさいって」。
自分との戦いができたってことは、頑固でよかった、勝ち気でよかったのかもしれません。そこがなければ「あなたはいい人だ」って若い頃いわれていたのよ。それが今活きたのよ、逆に。みんなと同じ生き方をしないでしまっているわけね。もっともっとこんな自分をいじめて、いじめてっていうのはおかしいけど、ほんとに自分自身との戦いをここまでしなくっても、それをしないでも過ごすことができるのに、あえて私はその道を選んでいるわけですし、ただ、人として生まれて、一生のうちにそんなにみなさんが出会えることではない、後世に残すものができることを手がけたってことが、手がけられたっていうことが、息子たちに「私がいなくなってからわかるよ」って。
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「私の姿、形がなくっても、ここはかあちゃんが命をかけて残した館なんだよ」って、ずっと建っている限り想える。すごいこと残したって思うんだ。
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